僕は交友関係が広い方ではありません。
でもその分、狭い範囲の中で深く付き合う傾向があり、その中には「親友」と心から呼べる友人がいます。
人生において家族と並び、欠かすことのできない存在です。
その親友のひとり、「ちーちゃん」が仕事の関係で北海道へ移住することになりました。
ちーちゃんは小学校の同級生です。
もう35年以上の付き合いになりますが、人生の節目節目に、不思議とちーちゃんの姿がありました。そんなにべったりと一緒にいたわけではなく、どちらかと言うとたまにしか会わないのですが、この付かず離れずの絶妙なバランスが心地よく、少なからず彼からは色々な影響を受けました。
ちーちゃんとの最初の出会いは小学校5年生の時。彼が「転校生」としてやって来たのです。
「転校生」。
小学生にとってこれほど刺激的な言葉があるでしょうか。
僕のクラスではなく、ちーちゃんは隣のクラスに入りました。
転校初日、当然のように他の友人たちと隣のクラスを覗きにいきました。するとそこには、鮮やかな赤いアディダスの帽子を被った丸坊主のちーちゃんの姿がありました。なかなかのインパクトだったことを覚えています。
次の年、6年生で同じクラスになりました。そして前後の席になったのです。
この時に授業で「壁新聞」を作ることになり、僕とちーちゃんはお互いの壁新聞を交換して読みました。
するとちーちゃんは僕の新聞を絶賛してくれました。
僕もちーちゃんの新聞に対して「むむっ!?こいつ、只者じゃないな」と感じました。僕はこの時こそがちーちゃんとの付き合いのスタートだったと思っています。
ちなみにこの時に書いていた壁新聞が、部屋を整理した時に出て来ました。35年前の壁新聞。読んでみて思いました。
「い、今のこのブログと同じじゃないか・・・」
どうやら僕の精神的な成長は小6で止まってしまったようです。
それから同じ中学に進み、高校は別になりました。もう付き合いは完全になくなっていました。
ところが20歳の頃、奇跡が起きました。たまたま乗った電車に、ちーちゃんが乗っていたのです。同じ車両に。しかしこの時、お互い変わり果てた姿になっていました。
僕は金髪に、ちーちゃんは腰まで届くぐらいのロン毛になっていました。
「あれ、ひょっとしてちーちゃんかなあ?」と僕は思い、ちーちゃんも「あれ、ひょっとしてがっちかなあ?」と思っていたそうです。
その後、同じ駅で降りたことで、間違いない!と確信し、どちらからともなく声を掛けました。久しぶりの再会。凄くうれしかったのをよく覚えています。
話をしてみると、「バンド活動」を2人ともしていることが判明。僕は当時ギターを、ちーちゃんはボーカルを担当していました。
それからはずっと、途切れることなく、前述の心地よい距離感で付き合いが続いています。色々と相談しあったり、バイクで出かけたり、お互いの結婚式にも出席。ちーちゃんの結婚式でギターの弾き語りデュエットをしたのは良い思い出です。
30歳になった頃には、「四重方(しじゅうかた)」というバンドを結成。遂に念願であった同じバンドのメンバーになりました。
ちーちゃんはボーカルのままでしたが、僕はドラムスに転向していました。
ちなみにちーちゃんはクイーンのフレディ・マーキュリーとそっくりの声質を持つ凄いボーカリストなんですよ。
この四重方も今年結成18周年を迎え、20周年へ向けて今まで通りのゆる~い活動を続けていく予定でした。
しかしそこへ飛び込んできたちーちゃんの移住話。僕の心は膝カックンをされた少年のように折れ曲がりました。
かけがえのない友が北海道へ行ってしまう。大阪と北海道の距離を考えると、もう滅多に会うことはできないでしょう。
そこで引っ越す前に、ご飯を食べに行くことになりました。
ですが、クセの強い二人。普通のお店へ行くはずがありません。
「伝説の餃子焦がし職人」のいるお店へ行くことになりました。
今から約25年前、ちーちゃんと一緒に山で木を切る仕事をしていたのですが、その時に年配の職人さんが、仕事終わりによく中華のお店に連れて行ってくれました。
そのお店は大将と、そのサポートをする「ケンちゃん」という料理人の方で切り盛りしていたのですが、よく職人さんがぼやいていました。
「ケンちゃん、もうキャリア20年になるんやけど、いまだに餃子焦がしよるねん。」
確かにその餃子は毎回焦げていたのですが、別に味に影響するほど焦げているわけではなく、普通に美味しくて、でも確実に焦げている、という不思議な焦げ方でした。
「餃子を焦がし続けて20年か・・・。それはそれでなかなか凄いな。」と変に感心しながら美味しくいただいていました。
そしてあれから25年たった今・・・ケンちゃんは健在なのでしょうか?
健在であれば、今も彼の焼く餃子は焦げているのでしょうか?
それを確かめる為に、ちーちゃんとの「しばしのお別れ会」はそのお店に決まりました。
でも、そもそもお店自体が続いているのか?コロナ禍で潰れているお店も多いので心配になり、食べログで調べてみました。
するとお店は元気に今も営業しているようでした。そして投稿者が最近撮った写真が載っていたのですが、その中になんと・・・
焦げた餃子の写真が載っていました。
ケンちゃん生存説、急浮上!!
いや、この焦がし方はケンちゃんにしかできない。絶対いるぞ。
もう居ても立っても居られなくなった僕たちは、お店のある大阪府池田市へと向かいました。
ちーちゃんのリクエストで、僕の愛車ダイハツ・コペン「白影号」で行きました。
阪急電鉄「池田駅」から少し南へ下った所にお店があるのですが、この25年間でのあまりの景色の変貌ぶりに驚きを隠せませんでした。狭かった道が広くなっており、全然どこだかわかりません。
しかし!
お店のある路地は健在でした。
一気に当時の記憶がフラッシュバックしました。ここだ。間違いない!
珉珉 池田店
さあ、ケンちゃんは健在なのか!?25年間の想いを胸に、暖簾をくぐりました。
ガラガラガラッ。
ケンちゃん、すぐに発見!
人間の記憶って不思議なものですね。お店に来る前はケンちゃんの顔を思い出せないでいたのに、実際に会うとすぐに思い出しました。間違いない、純度100%のケンちゃんです。
そしてお客さんはガテン系の人ばかり、という点も変わっていませんでした。着席したカウンターから万感の想いを込めて、ケンちゃんの神々しい姿をしばらく拝んでいました。
注文したのはもちろん、
「餃子定食」。
さあ来い!もし焦げていたら45年もの長きにわたり、焦がし続けていることになります。
焦げていました。
焦がし続けて45年。凄い偉業だ。大谷翔平選手でもこれには勝てません。
これこれ!全体が焦げているのではなく、絶妙に所々が焦げている。焦がし屋ケンちゃん、悪魔の所業。いただきます!
美味いっ!焦げによる悪影響は全くありません。
この懐かしい味により、当時の思い出がペラペラ漫画のように脳みそをめくっていきました。
しかしここで問題発生。
ちーちゃんの餃子は焦げが若干少なかったのです。
ちーちゃん「あれ?あんまり焦げてないなあ。クレーム入れていい?」
僕「そうやなあ。求めてるものと違うもんなあ。」
いや、その会話おかしくないか!?
何故そこまで焦げを求める。
結局クレームは入れず、追加注文分を食べまくりました。
懐かしのケンちゃんと大将の味を堪能しました。
飛びぬけた美味しさというわけではないが、何だかやみつきになり、たまに食べたくなる。結局人というものはそういうお店に一番よく行くのです。
どんなに豪華なランチよりも、心に響く素敵なランチでした。
親友と思い出を分かち合いながらいただく伝説の焦げた餃子。これ以上の贅沢な時間があるでしょうか?
今日という1日は間違いなく人生の最後まで忘れることはないでしょう。
ちーちゃんよ、サヨナラなんて言わない。また大阪へ帰ってきたら、このお店へ来よう!
できれば5年後に。
焦がし続けて50周年記念パーティー。
国民栄誉賞だぜ、ケンちゃん!
ちーちゃんの新たな旅立ちに乾杯!
今日の1曲:Bette Midler「The Rose」