「無理無理無理無理無理無理ぃぃぃーっ!!」
「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるディオのような雄たけびを聞き、うめちゃんは飛び起きた。
ここは大阪のゴチャッとした住宅街に佇む、考古学者ガッチー・ジョーンズの事務所。
先ほどの雄たけびは、やはりジョーンズによるものであった。
うめちゃん「どうしたことよ、先生。」
ジョーンズ「遂にあの日がやって来たんだよベイベー。」
ジョーンズが「あの日」と呼ぶのは、新型コロナワクチン3回目の接種日のことであった。
2回目の接種で大いなる副反応に苦しんだ彼は、3回目を異常なまでに恐れていた。
しかも3回目も、過去2回と同じく「モデルナ」のワクチンなのだ。
恐怖のモデルナワクチン。
その恐るべき副反応に苦しんだ人々のなんと多いことか!
ジョーンズ「あんなに苦しい思いをしてまで、打つ意味があるんだろうか?」
うめちゃん「でも先生。ワクチンを打つのは自分が感染しない為だけじゃなくて、人にうつさないようにする為でもあってよ。
先生はインチキくさいけど、一応、考古学者として世界を飛び回る身なんだから打っておいた方が良くてよ。」
ジョーンズ「ううっ。なんか色々と刺さるコメントだな、うめちゃん。」
しかしジョーンズは、どうしても2回目に味わった恐怖が頭から離れない。
ジョーンズ「やっぱり無理無理無理ぃぃぃーっ!!キャンセルするぅぅぅーっ!」
うめちゃん「今日の接種会場は中之島だったんじゃなくて?」
ジョーンズ「そうだけど?」
うめちゃん「梅田から歩くんじゃなくて?」
ジョーンズ「ま、まあ行くならその方が電車賃が安くあがるね。行かないけど。」
うめちゃん「梅田から中之島までの間に、いっぱい素敵なカフェがあるわね。どこかでモーニングしてから接種会場にそのまま行けば凄くいい流れなんだけど、行かないのね。残念なことよ。」
ジョーンズ「8時に出発するよ、ハニー。」
うめちゃんの巧みな誘導により梅田へ向かったジョーンズ一行。
モーニングの地として選んだのは、大阪の人間なら誰もが知る世界遺産級のカフェ、いや、決してカフェなどと呼んではいけない、喫茶店だった。
ジョーンズは考古学者として、一度この伝説の喫茶店を調査しなければならない、と以前から思っていたのだ。
お店があるのは「大阪駅前ビル」。第一から第四まで、4棟のビルが整然と並ぶ昔から変わらない風景。
近年、大阪駅前が凄まじい開発ラッシュで次々と風景が変わっていく中、この4つのビルだけは何も変わらない。
良くも悪くも濃厚な「昭和臭」を放ち続けており、今も生き続ける昭和遺産として大阪の人々にはなくてはならない場所である。
特に各ビルの地下1階と地下2階には多種様々なお店が乱立しており、中でも飲食店は安くて美味しい名店が数多く存在する。
飲食店の名店が集中しているのは第三ビルだが、今日ジョーンズが向かったのは、第一ビルであった。
第一ビルは他のビルに比べて少し薄暗く、シャッターが閉じている所も多く、怪しげなお店もあったりするので、「ダークな昭和臭」が最も強く残っている。
人が少ない時に通ると少し恐さも感じる。
しかしよくよく見てみると名店も多い。
今日のお店は、その中でも老舗中の老舗。第一ビルを代表する名店である。
ジョーンズ「おっ、ジョニーの後ろ姿が見えてきたぞ。」
そう、店先のジョニーウォーカーこそがこのお店のシンボル。
喫茶マヅラ
お店の看板にいきなり「コーヒー300円」のアピール。
大阪のお年寄りに年齢を聞くと必ず「何歳に見える?」と逆に聞き返してくるが、それに通じる押しの強さを感じる。
創業は1947年。
戦後の闇市の時代に産声を上げた。
1970年に大阪駅前ビルが誕生した時に移転し、それ以来、半世紀以上に渡って駅前ビルの生き字引として君臨している。
「生きた建築ミュージアム~大阪セレクション」にも選定されている。
写真の紳士は伝説の初代マスターである。
100歳を超えた今もお店の前に立ち続ける名物マスターだが、朝の時間はご不在だ。
「マヅラ」という店名も変わっているが、決してマスターがカツラを被っているというわけではない。初代マスターが若かりし頃に訪れたインドネシアの「マドゥラ島」を大変気に入り、そこからつけた名前らしい。
ジョーンズ「入るよ、うめちゃん。」
うめちゃん「なんか緊張することよ。」
中へ入るといきなり眼前に広がる非日常空間。
そして、広い。喫茶店の規模ではない。100坪もあるそうだ。
ジョーンズ「北新地の高級クラブのような雰囲気だな。行ったことないけど。」
うめちゃん「ちょっと感動することよ、先生。」
土曜日は開店時間の9時に行くとガラガラだ。席を選びたい放題である。
昭和の香りがする喫茶店では喫煙OKのお店が多いが、こちらも例に漏れず。
しかしここは広い店内で分煙になっている。とは言え、タバコが苦手な方は人の少ない朝の時間に来た方がいいだろう。朝なら全然大丈夫だ。
着席するだけで夢見心地になる。
店内は宇宙空間をイメージして造られているらしいが、まさにその感じだ。
広い上にそこら中に鏡があるので、より広く感じられ、不思議な感覚に襲われる。
ここへ来る途中に前を通った今風のカフェでは、狭い所でぎゅうぎゅうになりながら大勢の人がコーヒーを飲んでいたが、少し足を伸ばすだけでこんなにも寛げる異次元空間があるのだ。
ここを知ってしまうともうあんなカフェには行く気がしない。
ドリンクメニュー。
以前は250円だったコーヒーが300円になったが、それでも場所を考えれば安い。
右下にテーブルチャージのことが書いてあるが、朝は取られない。
モーニングはトーストかサンドウィッチを選べる。
ジョーンズとうめちゃんはサンドウィッチにした。
シンプルを極めたモーニング。400円。
安っ!
スタバならドリンク代だけでももっとするだろう。
コーヒーは癖がなく、さっぱりと飲みやすい。
サンドウィッチも美味だ。
ジョーンズはゆったりと、宇宙空間での至福のひと時を楽しんだ。
そしてしばらくした時だった。
隣のテーブルに、次々と魅力的なものが運ばれてきたのだ。
ナポリタンスパゲッティ、クリームソーダ、昭和の喫茶店には必ず存在する魅惑の一品だ。
ジョーンズ「あれ?朝からあんなものを注文できるの?」
このお店のいい所は、朝から普通に食事メニューが注文できる点だ。
「ダイナマイトモーニング」にすることも可能である。
ジョーンズ「あのナポリタン、めちゃめちゃ美味しそうなんだけど・・・。ちむどんどんしてきたさ~。」
うめちゃん「い、意外と朝ドラ観てるのね、先生。でも駄目よ。食べ過ぎると接種会場に向かう気がなくなることよ。」
ジョーンズ「パフェも美味しそうだ・・・。ちむどんどんしてきたさ~。」
うめちゃん「もうちむどんどんしなくていいから、もう少ししたら行くわよ、先生。」
伝票を見ると、下の方にいろいろと気になることが書いてあった。
ジョニ赤 コーヒー並の値段 380円
料理 味と量と器で勝負する 500円前後
そしてパーティ予約もできるという。
確かにここでのパーティーは楽しそうだ。
ジョーンズ「昭和なメニューを食べまくるパーティーなんて最高だね。ごめんやけど、またちむどんどんしてきたさ~。」
うめちゃん「時間よ、先生。」
マヅラでテンションが上がったジョーンズは、もうワクチンを恐れていなかった。
堂々とした足取りでマヅラを後にした。
ジョーンズ「じゃあな、行ってくるよ、ジョニー。男にはやらねばならぬ時があるのだ。」
接種会場へ向かうジョーンズを見送りながら、うめちゃんは思った。
「絶対に高熱が出るわね、先生。」
その日の夜、うめちゃんの予想通りに、ちむどんどんどころかどんどん熱が上がって来たジョーンズであった。
今日の1曲:David Bowie「Space Oddity」