大阪北部、特に何もない住宅街に佇む考古学者ガッチー・ジョーンズの事務所。
この日は休日だったが、ジョーンズがよそ行きの服装に着替え、どこかへ行こうとしていた。
その様子を、秘書の柴犬うめちゃんが訝しげに眺めていた。
うめちゃん「どこへ行くの、先生?」
ジョーンズ「ああ、うめちゃん。今日は天気がいいからね。久しぶりに清水寺へお参りに行こうと思うんだ。」
うめちゃん「いいわね、清水寺!あたいも行ってよくて?」
ジョーンズ「もちろんそのつもりだぜ、ベイベー。うめちゃんも早くよそ行きに着替えなよ。」
特によそ行きの服を持っていないうめちゃんは、とりあえず帽子を変えてみた。
うめちゃん「この帽子、どうかしら先生?」
ジョーンズ「うん、そのシックな色はお寺へ行くのにちょうどいいね。上に何か乗っているのが少し気になるけど、まあいいんじゃない?」
休日のよく晴れた気持ちのいい朝、二人は清水寺へ向かった。
だが駅に着いた時、ジョーンズがおかしな行動を取り始めた。
京都方面ではなく、大阪方面へ行く電車のホームに降り始めたのである。
うめちゃん「先生!清水寺に行くんでしょ?京都方面の電車に乗らないといけないことよ!」
ジョーンズ「何言ってるんだよ、うめちゃん。清水寺といえば大阪だろう。こっちで合ってるよ。京都の清水寺なんて聞いたことがないよ。」
うめちゃん「え、ええっ!??」
うめちゃんは今年一番の衝撃を受けた。
(つ、遂に認知症になってしまったのかしら、先生。まだ40代なのに・・・。)
だがうめちゃんは、ジョーンズの言うことに異を唱えなかった。
認知症の人に接する時は、むやみにその人の言うことを否定してはいけない、と聞いていたからである。
うめちゃん「そうね。清水寺は大阪だったわね。私が勘違いしてたわ。申し訳ないことよ、先生。さあ、電車に乗りましょ。」
うめちゃんの心の中は、晴れ晴れとした空模様とは対照的に、鬱屈とした靄に包まれていった。
(これからどうしようかしら?あたいに先生の面倒が見れるかしら?)
そんなうめちゃんの心配をよそに、ジョーンズは大阪メトロ「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅で下車した。
この駅といえば、かの聖徳太子ゆかりの「四天王寺」で有名な所である。
(先生、四天王寺のことを清水寺だと思っているのかしら?・・・だとしたら重症なことよ。かなりの重症だわ。)
ところがジョーンズは、四天王寺とは逆の方向へ歩き出した。
ジョーンズ「この辺りは『上町台地』といってね、北は大阪城から南は住吉区の方まで、起伏のあるせりあがった土地が続いているんだよ。大阪は東京に比べて坂が少ないと言われるけど、上町台地は別世界でね、台地の東側は緩やかな坂だけど、西側は急峻な坂がいっぱいあるんだよ。」
ジョーンズは谷町筋を北上し、千日前通を西に向かって歩き出した。
ジョーンズ「上町台地のなかでも特にこの辺りは坂が多くてね、『天王寺七坂』と呼ばれる一つ一つに名前のついた坂があるんだよ。7つ全部登るのは大変だから、少しだけ登ってみようか。」
上町台地について熱く語るジョーンズを見ていると、とても認知症には思えなかった。
それどころか、いつものようなインチキ臭さが感じられず、まともな印象すら受けた。
(それがまた怪しいわね。)
ジョーンズ「ほらうめちゃん、ここが七坂の一つ、『真言坂』だよ。」
真言坂
うめちゃんは驚いた。千日前通の喧騒からは考えられない落ち着いた雰囲気の坂が突然現れたからである。
ジョーンズ「この坂は、有名な『生國魂神社』へ続いているんだよ。」
ジョーンズ「この神社はとんでもなく古い神社なんだよ。どれぐらい古いかというとね、まあ、その・・・めちゃめちゃ古いんだよ。あとでウィキペディアで調べてみて。」
この時、徐々にいつものインチキ臭さが戻ってきたような気がして、妙に安堵したうめちゃんであった。
それにしても周りを交通量の多い幹線道路で囲まれている所とは思えない、静かで厳かな雰囲気に包まれており、不思議な気分になれる場所だ。
周辺の道路よりもかなり高い所にあるのも影響しているようだ。
ジョーンズ「じゃあ、次へ行こうか。」
神社を出て、南方向へ歩き出したのだが、そのあまりの寺の数に、うめちゃんは驚きを隠せなかった。
次々と寺が現れる、といった感じだ。
静かな雰囲気と相まって、まるで京都にいるかのような気持ちになってくる。
と思っていたら急にラブホテルが目に入って来る。やはりここは大阪なのだ。
しばらく付近一帯を歩き回ると、また坂が現れた。
ジョーンズ「うめちゃんここはね、『天神坂』だよ。」
ジョーンズ「この辺りのことについては、まあ何というか・・・このプレートを読んどいて。」
(だんだんいつもの調子に戻って来たわね、先生。いいことよ。)
その時、ふと坂の横の階段にうめちゃんが気づいた。上に神社があるようだ。
ジョーンズ「ああ、そこはね。真田幸村公が戦死した場所だよ。」
うめちゃん「行ってみたくてよ、先生。」
あの真田幸村が最期を遂げた場所としてあまりにも有名な神社だが・・・地味だ。
めちゃめちゃ地味だ。
しかしそこはさすがの人気武将。この日もたくさんの歴女たちが参拝に訪れていた。
天気が良すぎて幸村公がまぶしそうだ。ウェスタンハットが似合いそうだ。
ジョーンズ「じゃあうめちゃん、そろそろ清水寺へ行こうか。」
うめちゃんはまた気持ちが沈んだ。
この辺りにあるはずもない清水寺。
これまでジョーンズの言動に不審な点は見られないが、これだけは無理だ。
あるはずがない。清水寺は誰がどう考えても京都にあるのだ。
しかししばらく歩いた後、目に飛び込んできた坂の名前にうめちゃんはハッと息をのんだ。
ん!?
清水坂!!
ううっ、まさかそんな事が・・・!?
ジョーンズ「この坂を登れば今日の目的地、『清水寺』に到着だよ。」
(いやいや、そんな事あるわけないわ。坂の名前が同じだけなことよ。ないない、絶対に・・・)
ほんまや。
もはや疑いようのない石碑。くっきりと「清水寺」と彫ってある。
そして・・・
ガボーン!!
(で、でも名前がたまたま同じなだけのことね。ありがちな名前よ。)
ジョーンズ「ここを真っすぐに進むと、あの有名な『清水の舞台』があるよ。」
うめちゃん「ええっ!?あの舞台まであるの??」
ジョーンズ「ははっ。うめちゃんは本当に清水寺に来たことがなかったんだねえ。清水の舞台は犬生に一度は見ておいた方がいいよ。」
うめちゃんはだんだん自分がおかしいのではないかという気がしてきた。
夢だ。これは夢なのだ。しかし頬っぺたをつねろうにも、うめちゃんの前足は頬っぺたに届かなかった。
そして・・・
清水の舞台
うううっ!
(わざわざ文字で書いてあるわ・・・。)
でも・・・
確かに舞台だわ。
(しかもなかなか立派な。)
な、何なんだここは!?
うめちゃんは今、犬生史上最高に混乱していた。
あたいは今、何を目にしているんだろうか。
何が正しくて、何が間違っているのか、何もわからなくなってきた。
だがしばらくこの謎の舞台で爽やかな風に吹かれているうちに、だんだん気持ちがよくなってきた。
最初はミナミの住宅街が見えるだけじゃないか、と思っていた舞台からの眺めも、だんだんと絶景に思えてきた。
ジョーンズ「うめちゃん、南西の方向を見てちょ。通天閣が見えるよ。」
ほんとだ。新世界のシンボル、通天閣が背伸びしてこっちへ手を振っているように見えた。
ジョーンズ「南東の方向には、あべのハルカスが見えるよ。」
ほんとだ。板チョコのようにパキッと折れそうに見えた。
この鐘楼も見事だ。
うめちゃんはだんだんこの舞台が好きになってきた。
(京都の清水寺の舞台なら、エサに群がるアリのように人が所せましと歩き回っていて全然ゆっくりできないけど、こっちの舞台はあたいが独り占めしている気分なことよ。
舞台俳優になった気分だわ。この景色だって悪くないわ。)
ジョーンズ「それじゃ、次は『音羽の滝』へ行こうか。」
音羽の滝!!
清水寺の名前の由来になったとされる、あの音羽の滝までもがここにあるというのか!?
(いやいや先生、さすがにそこまでは・・・。)
(あるわけない!)
ほんまや。
な、何と言うことだ!!そんな事があっていいのか。
ジョーンズ「ここは大阪市内で唯一の天然の滝なんだよ。」
確かに水が流れている・・・。
ジョーンズ「どうだい、清水寺は?いい所だろ?まあ日本で一番有名なお寺だからね。」
うめちゃんは感動していた。
この説明書きには、はっきりと「京都の清水寺を模した」と書いてあった。
しかしただの模倣ではない、れっきとした由緒正しいお寺のようだ。
(先生は、とぼけたふりをして、わざと京都ではなく、大阪の清水寺へあたいを連れてきたんだわ。思えば今までの犬生を振り返れば、お寺へ行くと言っては京都、京都とブランドに取り憑かれた人間のように京都ばかり行っていたけど、地元・大阪にもまだまだいい所がある。もっと足元を見つめ直しなさい、と先生は言いたかったんだわ。)
うめちゃんはジョーンズを認知症だと決めつけたことを、心から恥じた。
そして自分はずっとこれからもこの素晴らしい学者の下で仕事をしたい、と気持ちを新たにしたのだった。
それから1カ月後、ジョーンズが血相を変えて階段を下りてきた。
ジョーンズ「うめちゃん、うめちゃん、世紀の大発見だぜベイベー!!」
うめちゃん「えっ!?何を見つけたことよ?」
「京都にも清水寺という名前のお寺があるらしいよ!!」
(ほ、本当に知らなかったのね、先生・・・・・。)
ビズリーチが気になり出したうめちゃんであった。
今日の1曲:Shocking Blue「Shocking You」