「鉄道」という響きには何か特別なものを感じます。
公共の移動手段という本来の目的以上に、憧れやロマン、愛着といった思い入れの方が先行している人も多いのではないでしょうか。
子供の頃に線路沿いで見た特急の勇姿。
いつも乗る電車の中から見た車窓からの景色。
家族と乗った思い出。
旅の思い出。
鉄道にはただの移動手段ではない人々の思いが詰まっています。
僕も例に漏れず、家の近くに阪急電鉄と国鉄(現JR)の線路があったので、子供の頃はよく線路沿いへ電車を観に行っていました。
そこで頻繁に目にした特急「雷鳥」の姿は今でも目に焼き付いています。
また当時、大阪環状線の弁天町駅の近くに「交通博物館」というものがあり、よく父親に連れて行ってもらいました。
実物の特急車両がドーンと展示してあり、いつも遠目で見ている憧れの特急を触ることも出来る夢の空間でした。
僕はいつもそこで特急の形をした鉛筆を買ってもらいました。
鉛筆の端に特急の先頭の顔が付いており、鉛筆部分には車両の窓が描かれていました。
使えば使う程、どんどん車両が短くなり、最後には先頭の部分だけが残ってしまうという悲しい鉛筆だったのですが、残った先頭部分は捨てずに保管し、不思議なコレクションが出来上がっていました。
さすがにそのコレクションは今はもうありませんが、その時に一緒に買った
電車のカードは今も大事に持っています。
汽車と電車
中にはSLや新幹線、特急などのカードが18枚入っており、ランドセルに忍ばせて学校へも持って行き、授業中に密かに眺めていました。
この中で特にお気に入りだったのが、
特急「とき」
見た目は「雷鳥」とほぼ同じですが、「とき」は上野~新潟間を走行していたので、大阪では見ることが出来なかったのです。
このカードを見ながら、母の故郷であるまだ見ぬ新潟に思いを馳せていました。
結局、実物を見る夢はかないませんでしたが、カードを眺めていると当時の気持ちがよみがえってきます。
そしてこのカードの裏には車両の説明が書いてあったのですが、特異な性格のがっち少年は、そこへ謎の落書きをしていました。
な、何だこれは・・・!?
どうやら切符のつもりで書いていたようです。
何故か新大阪からの切符だけは子供料金も併記されています。
今でも宝物として大事に保管しているこのカードですが、もうカードの電車たちはほとんどが引退してしまいました。
新型車両への世代交代。
寂しいですが、それが世の常というもの。鉄道の発展の為にはそれも必要です。
そしてまた1台、思い入れのある特急がもうすぐ引退の時を迎えようとしていました。
特急ひだ
僕を何度も大阪から大好きな飛騨高山へ連れて行ってくれました。
なぜ先頭車両なのに連結部分があるのか?
それはこの後、ドラマチックな合体をするからです。
大阪から発車する時は、わずか3両編成。
それが岐阜駅において、名古屋から発車した同じく特急ひだと夢のドッキングをして、一緒に高山へと向かうのです。
特急界のウルトラマンエース!
電車ではなく、気動車と呼ばれるディーゼルエンジンを駆動させて走行する車両なので、独特のエンジン音と振動があり、それがいかにも「走ってるな~」という感じがして、とても味わい深いのです。
トイレから出ようとした時に、あまりの振動で間寛平師匠のような動きになってしまったのも良い思い出です。
その昔、「シティライナー」と呼ばれる新快速列車が大好きでした。
特急ひだを最初に見た時、何となくこのシティライナーに似た雰囲気を感じ取り、すぐに好きになりました。
その特急ひだが、次世代の車両にバトンタッチすることになりました。
そして新型車両の導入とキハ85系の引退を記念した特別なイベントが、
「京都鉄道博物館」にて行われることになりました。
新型と旧型の「特急ひだ」の車両が並んで展示されるらしいのです。
そのイベントに「一緒に行きましょう!」と誘ってくれたのが、毎度おなじみ「勝手に岐阜県観光大使」さん。
大使さんにとっての「特急ひだ」は物心ついた時から常にそばに居てくれた思い出の車両であるらしく、思い入れの強さは僕の比ではありません。
でもそんな特別なイベントに僕を誘ってくれたことがとても嬉しく、喜んで参加することにしました。
特別展示の最終日、3月5日。この日は地球が特急ひだへの感謝の気持ちを表しているかのような、抜けるような青空の晴天に恵まれました。
いつもは僕が訪れると雨模様になる京都も、今日は素晴らしい天気でした。
しかし京都タワーは何度見てもそろばんの駒にしか見えない。
変なデザインだ。
大使さんはてっきり電車で来ると思っていたので京都駅で待っていたのですが、まさかの高山から車での登場。大阪の人間が京都で岐阜の人に迎えに来てもらうという不思議な展開になりました。大使さんのお供には以前、高山でお世話になったナイスガイ、ハルキ君もいて、嬉しや嬉しやです。
博物館に入る前に、梅が満開の梅小路公園を少しお散歩。
するとボーッという汽笛と共に現れたのは、
SLスチーム号
かっちょええ~!
機関車を見るとすぐに「バック・トゥ・ザ・フューチャーⅢ」を思い出してしまいます。
ジャージ姿で映画館に行ったなあ・・・。
この梅小路公園で、大使さんのご友人一家と合流し、大人5人と天使1人(1歳の可愛すぎる赤ちゃん!)の総勢6名で博物館へ向かいました。
ここへ来るのは初めてです。ドキドキドキ・・・。
中へ入るといきなり懐かしい車両が出迎えてくれます。
初代0系新幹線
新幹線といえばこれ。これしかない。新しい新幹線は空気抵抗などを考えすぎてデザインが良くない。もうそんなに速く走行しなくていいから、このデザインに戻してほしいです。
なんかこの色合い、懐かしい。近所を走る快速急行はこの色合いでした。
でも最寄り駅には快速が停まらなかったので、ひたすら通過するのを見送るのみでした。
大阪環状線のトレードマークだった、オレンジ色。
最近、色が変わってしまい、多くの大阪府民を落胆させました。
やっぱり大阪環状線はこの色がいい。
この色を見ると、昼間からお酒の臭いをプンプンさせながら独り言を言っているおじさんの姿が鮮やかに浮かんできます。
大阪環状線と対照的だったのが、「余裕しか感じない」トワイライトエクスプレス。
こんな豪華な列車で旅をしてみたいもんです。
ぎゅうぎゅう詰めの地獄の通勤電車が走る同じ線路の上を、優雅に旅を満喫する人々が乗ったトワイライトエクスプレスが走り抜けてゆく。
鉄道は社会の縮図です。
更に進むと、
おおっ!あ、あれは!!
特急「雷鳥」
おお~久しぶり!相変わらず眉毛が可愛い。
子供の頃は線路沿いへ行く度に雷鳥が通るので、
「何やまた雷鳥か」
とぼやいていましたが、引退して会えなくなった今、一番会いたい電車でした。
あの時の暴言をお許し下さい。
そしてあの頃の自分に言ってあげたい。
「もうすぐ会えなくなるぞ」、と。
この博物館は、ただ車両を展示してあるだけではありません。
例えばこの懐かしいディーゼル機関車。
何と車両の真下に通路があり、
車両の裏側が見れます。
僕は鉄ちゃんではないので「ほー」と言うだけでしたが、マニアにはたまらないのでしょう。
他にも線路の切り替えを初め、色々な鉄道にまつわる事を体験出来るので、子供から大人までが心ゆくまで楽しめる施設となっていました。
プラレールもありましたよ。
確かにお金持ちの子の家へ遊びに行くと、こんな巨大なプラレールがありました。
僕のプラレールはこれのほんの一部分ぐらいでしたが、それでも部屋ギリギリで、
大人たちが跨いで通る度に脱線事故が起きていました。
その都度、がっち駅長は大人たちに対して懸念の意を表明しましたが、その後も事故は続きました。
では、そろそろ本日の主役の下へ。
特急ひだ(キハ85系)
うーん、やっぱりかっこいいなあ!これが引退するなんて惜し過ぎる!
岐阜~高山の車窓から見える景色は感動ものでした。
新型特急ひだ(HC85系)
そしてこちらが新世代の特急ひだ。これはこれでかっこいいんだけど、なんかシュッとし過ぎている感が否めません。
いい人なんだろうけど、心からは信用できないな。そんな感じです。
新旧の特急ひだ、揃い踏み!
時代の変わり目です。
外に出ます。
すると、
きかんしゃトーマスの世界が現実に目の前に!
車庫に立ち並ぶ機関車は圧巻です。
そして機関車の方向転換が始まりました。
操縦するおじさんが渋い!
「京都のハンフリー・ボガート」の称号を与えましょう。
「君の汽笛に乾杯。」
ぐいーんと方向転換。これは凄い光景だ。
この圧巻のパフォーマンスにより、特急ひだの記憶が消えそうになったので、
最後にもう一度参拝。
ありがとう、飛騨キハ衛門!
そして長い間ご苦労様でした!
しかしキハ85系はこの日が引退日というわけではありません。
まだあと数日、運行することになっていました。
そして偶然にも、僕は3月に高山へ行く予定になっていたのです。
なんという運命のめぐり合わせ!最後の最後に、キハ85系に乗れるチャーンス!!
キハ85系の最終運行日は3月17日。
そして僕が高山へ行くのは・・・
3月18日。
・・・・・どこまでも間が悪い、我が人生。
もう飲まないとやってられません。
飛騨パイン牛乳を。
美味っ!
大使さん、ありがとう!
そしてそれから数日後、信じられない吉報が入りました。
なんと引退したキハ85系が、京都丹後鉄道において第2の人生を歩むことになったというのです!
わーいわーい!
絶対乗りに行くぞ!また誘ってね、大使さん。
今日の1曲:Limahl「Never Ending Story」