世界初のインスタントラーメンを生み出した「日清食品(株)」の発祥の地であるのは有名ですが、もう一つ、世界的企業があることでも知られています。
ダイハツ工業(株)
創業100年を超える日本を代表する自動車メーカー。
戦後日本の高度経済成長期を支え、今もなお「庶民に寄り添った車」を世に出し続ける、民衆のヒーローです。
「ヒューモビリティワールド」
というものがあるというので、いそいそと行ってきました。
事前の申し込みはいりません。
ただし土曜日のみの開館です。
ダイハツ工業(株)本社
我が家では現在、2台の軽自動車を所有していますが、そのどちらもがダイハツ車。
愛車の実家へ帰って来たような気分です。
駐車場は本社のビルから道路を挟んで向かい側にあります。
停める所がいっぱいあり過ぎてどこに停めればいいのかわからず、怒涛の鬼バックをしてしまいました。ごめんなさい。
コペン「白影号」
12万kmの旅路を経て、実家へ帰って来ました。ただいま~!
ダイハツ本社へ渡る為だけの押しボタン信号を渡り、いざ実家へ!
住所は池田市ダイハツ町。ダイハツ車ユーザーの住みたい町No.1です。
建物の前では、社員さんが待ち構えておられました。
鬼バックしてたの見られたかな?
レーシングカーの前を通り、奥へと進みます。
すると奥にも女性の方が待ち構えており、はじけるような笑顔で出迎えてくれました。
さすが本社の精鋭たち。第一印象バッチグーです。
建物内に入り、通路を進むと、入口が見えてきました。
早くも見覚えのある車が見えてきたぞ!ワクワク感を煽るこの演出、ニクイね~。
中に入ると、いきなり名車が出迎えてくれます。
シャレード デトマソ TURBO
懐かしいー!よく走ってたなあシャレード。
日本の道路にジャストフィットの5ナンバーサイズ。
最近はこのような5ナンバーの良い車が本当に少なくなりました。
道路が広くなったわけでもないのに、やたらと3ナンバーの大きな車が増えています。
カローラが3ナンバーになった時は鼻からカスタードクリームが飛び出しました。
もっと5ナンバーの良い車が増えて欲しいです。頼むで、ダイハツ!
受付にはコロナ対策も万全のカクカクシカジカさんがいます。
その受付で申し込むと、アテンダントのお姉さんがガイドツアーをしてくれます。
無料なのでもちろん申し込みました。
するとお姉さんが、
「コペンに乗られているのですね。」
どこから見てたの!?
駐車場で鬼バックをする白影号の勇姿が社内に配信されていたのでしょうか?
しかしコペン乗りということで、ガイドツアー中ずっと、とても丁寧に色々と説明をして下さいました。
では2階から順に回ってみましょう。
母さん!
そうです。この発動機こそがダイハツの原点。
もともとは発動機を専門に造る会社だったダイハツ。
「大阪にある発動機製造の会社」を略して「大発さん」という愛称で呼ばれていたのが、戦後にそのまま会社の名前になったそうです。
ちなみにこれはダイハツに現存する最も古い発動機で、田んぼの水をくみ上げるのに使われていたそうです。
初めから庶民の生活と共にある会社だったんですね。
小型三輪車「ダイハツ号」
その後の自動車製造のきっかけになった記念すべき三輪自動車。
僕は後ろの荷台を見て、子供の頃、近所に住んでいた「S田君」の事を思い出していました。
S田君はいつでもどこでも裸足で走り回っている野生児でした。
そして何故か、いつ見てもリヤカーを曳いて走っていました。
あのリヤカーはどこにあった物なのか、中に何を積んでいたのか、何の為に曳いて走っていたのか、全てが謎に包まれていました。
しかしこのダイハツ号を見ていると、彼はこれになりたかったんじゃないのか、という気がしてきました(絶対ちがう)。
2階の奥では企画展をしており、この日は「なつかしのクルマ展」をしていました。
かっちょええ~!
後ろの風景写真は1960年代の池田市です。
ダイハツスポーツ
1963年のモーターショーで出展された車ですが、市販はされていません。激レア車両です。
目がビッグ!自動車界の西川きよし師匠です。
コンパーノ ベルリーナ
1963年に発売された、記念すべきダイハツ乗用車第一号がコンパーノ。
コンパーノ スパイダー
コンパーノのオープンカー。コペンのご先祖様です。ありがたや~。
ガソリンをグラスに入れてお供えしたくなりました。
この時代の車はインパネ周りがカッコいい!
当然ながらナビなどはありません。紙の地図を見て、迷いながらのドライブの方が僕は好きです。スーパーマップルMy Love💛
では3階へ。
3階では、年代ごとに、その時代を彩った代表車種が展示してあります。
<1950年代>
3丁目の夕日感が半端ないこの空間。こういう場所には必ずあの車がいる。
初代ミゼット
日本の高度経済成長期を支えた名車ミゼット。
2代目が展示してあるのはよく見かけますが、これは珍しい初代ミゼット。
ハンドルがバイクのようなバーハンドル。
背もたれの横にある伝票入れがお洒落です。
これ運転してみたいな~。S田君が運転したらめちゃめちゃ似合いそうです。
2代目ミゼット
これはよく見かける2代目ですが、後ろが荷台ではなく、ワゴンスタイルになっているのが珍しいです。
昔の冷蔵庫ってこんな感じでしたよね。
こんな味のある車両が走り回っていた時代。見てみたかったな~。
<1960年代>
おおっ!あの車は!?
兄さん!
フェロー
ダイハツ初の軽自動車。ダイハツ軽シリーズの長男、フェロー兄さんです。
まだまだマイカーを持つのが夢のまた夢だった時代。
スバル360,ホンダN360などと共に、庶民に手の届く車として、日本の多くの人々にマイカーを持つ喜びをもたらした英雄。
この時の軽の排気量はわずか360cc。
この「家族4人が乗れる軽自動車」を買う為に、当時の人々は日々、汗水たらして働きに働き、マイカーという夢をやっとの思いで掴んだのです。
軽自動車によって手にした家族の幸せ。
それなのに今の日本人ときたら、
「なんや、軽か」
「軽なんか狭すぎるわ」
「お金ないから軽で我慢しとくわ」
などと言いたい放題。
酷い人間になると、車線変更をしようとした軽自動車に対し、馬鹿にしたように邪魔をしたり、煽ったりする輩もいます。
うぬぼれるなよ、日本人!
今、誰もがマイカーを当たり前のように所有できているのは軽自動車があったおかげなんだよ。
もっと軽自動車に対して敬意を払うべきです。
だから僕はこれからも軽に乗り続けます。
黄色いナンバープレートを誇りとしながら。
高速道路、ちょっとしんどいけど。
<1970年代>
1973年、大阪でのちに「がっち」と呼ばれる不思議な子供が誕生しました。
その子供は3歳になると、車のリアビューを見ただけでその車名を言い当てるという神技により、「神童」の名を欲しいままにしました。
しかしその後、成長するにつれて全く勉強をしなくなり・・・・・・・・・
入口に展示してあったのはゴリゴリのスポーツモデルですが、街でよく見かけたのはこのノーマルモデル。
がっち少年にとっては、駐車場に放置されていた誰の物かわからないシャレードの屋根の上に乗り、世の中の動きを観察していた思い出の車です。
この時代になると街には自動車が溢れかえり、大気汚染が深刻になってきました。
<1980年代>
僕が青春時代を過ごしたのはちょうどこの時代ですが、あまり好きではありません。
車も音楽も、何故か好きになれない80年代。
いろんな物に商業的な臭いがするからでしょうか。
ミラ
この車もよく走ってたなあ。
でもあまり良い事を思い出さないなあ・・・。
<1990年代>
ムーヴ
スズキのワゴンRが爆発的なブームになり、対抗馬としてダイハツが出したのがムーヴ。僕の初めてのマイカーは2代目ムーヴでした。
個人的には少年から大人への過渡期だったこの時代ですが、本当に大人になれたのかどうか、甚だ疑問を感じます。
<2000年~現在>
タント
もうここからは記憶に新しいものばかりです。
初代タントは発売当時、大きなガラスから太陽が車内に降り注ぐので、「朝日のあたる車」として話題になりました。
そして、
軽自動車初の自動開閉式オープンカーですが、白影号の屋根が開くのは年数回です。
ミラ イース
軽自動車の値段がどんどん上がり、普通車よりも高い車種が次々と登場する中、
「低価格」「低燃費」「高品質」の3拍子揃った「庶民の為の車」がミラ イース。
ダイハツが原点に立ち返った一台です。
これからも、この理念は大事にしてほしいですね。
では、最後に4階へ行きましょう。
4階は、様々な「体験」が出来るフロアになっています。
将来、過疎地で活躍しそうな全自動の乗り合い車や、
実際にハンドルを回して、どういうしくみでタイヤに力が伝達しているのかを体験したり、
キカイダー!?(古っ!昭和っ!)
これは車をバッサリと切ってあり、中の構造がどうなっているのかを見れるようにしてあります。
他にもいろいろとある中で、僕が一番熱狂したのは、
「軽自動車をデザインしよう!」というコーナー。
モニターを指でなぞって車の絵を描き、デザイナーになった気分を味わえます。
しかも自分がデザインした車が大型スクリーンの街中を実際に走行するという夢のような企画です。
まず車の目的を決めます。
僕は「おばあちゃんをむかえにいく」にしました。
すると・・・
おばあちゃんが割とハードルの高い要求をしてきます。
その要求に応えるべく、49歳のおっさん頑張りました。周りの子供たちに混じって。
そして魅惑のクルマが完成。
ガッチ号
イタリア人デザイナー、ガッチ・ペペロンチーニが手がけた4人乗りのセダン。
どっちが前か後ろかわからない独創的なデザインと、ロー&ロングの力強いスタイルが評価され、2023年カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました(するかっっ!)
「印刷する」というボタンを押すと、このようにハガキサイズに印刷されたカードがもらえます。
そしてガッチ号、他の子供たちの車に混じって、街へ繰り出します!
散髪屋さんへおばあちゃんを迎えに行き、
家まで送っていきました。
楽しい!!
楽し過ぎて、閉館時間12時ギリギリまで長居してしまいました。
思い入れが強すぎて長くなってしまいましたが、以上でダイハツ本社潜入レポートを終わります。
ダイハツ「ヒューモビリティワールド」、子供から大人まで、老若男女問わず楽しめる素晴らしい施設でした。
予約がいらず、タダ(無料)というのもいいですね!
ただ、この日の状況だけを見ると、比較的冷静に見学をしていた子供たちに比べ、
49歳のおっさんがダントツで興奮していました。
また行こっと!
ダイハツ車バンザーイ!!
今日の1曲:ザ・スパイダース「いつまでもどこまでも」